詠春拳研究公開日誌

体験談や見聞録から推察していく詠春拳

風格

詠春拳で1番変化するのはスタイルだ。

どういう事かと言うと、

教えてくれた先生や、一緒に練習している仲間、そもそもの詠春拳の体術や技術

 

。。。なんかより、

本人がどんな詠春拳をしたいか

が最重要事項となってくる。

(この部分をある意味での統一思想によって伝統とすげ替える詠春拳も無くはないが)

 

スタイルとは風格であり、個人的には「誰から習ったか」がすぐ解る見えない証明書のようなものと理解している。

 

スタイルが違っていれば、その先生から一体何を学んだのかと言う話にもなるし

逆に先生はどんな教え方したのだ、と首を傾げる事案に自分の中では発展していく。

 

詠春拳とは本当は見えない部分が見えてくる拳法であり、

やればやるほど真贋の程が見えてくるようになってくる。

但しそれは、本当に詠春拳と呼べるものを練習していて、かつ運動や身体の構成の気付きがある人達だけである。

 

自分で気付けない人、気付いた何かが先生の技術と一緒じゃない人。

それは習ったスタイルの死滅と個性の誕生を意味する

それがいいか悪いかは別として。

 

見えない部分を見ようとするには

練習内容も練習環境も大事ではあるが、

先ず自分が詠春拳でどんな事がしたいかが重要になってくる。

 

しかしその中で詠春口決から外れるような、

例えば伏手の接触位置が前腕の上の方であったりとか。

非生産的な事は気付きから疎遠になっていく。

 

合理的、それと距離と時間の短縮。

威力の最大化。

自分の詠春拳の三本柱である。

 

速さはいるときもあればいらないときもある。

二人三脚

武道武術のビジネス化が進むと共に

入会者、弟子志願者の「お客様化」も進んできた。

 

お金払ったから教えてくれて当たり前。

その教え方も自分のイメージと違うならすぐ辞める。

 

教える側と教わる側との二人三脚と考えている私個人としては、なんとも歯痒い構図である。

 

当会にも色んな問い合わせが来るが、

半分以上が頭の弱さを文字通り「露出」させてくるのだ。

 

ある方は行きたいです。予約希望です。とか

またある方はお茶しませんか?とか

またまた、ある方は1年に一回練習場所と日時を聞いてきたり。

 

常識の範疇で考えても、おかしいと思うし

何よりこんな会話を成立させようとする人達に詠春拳を教えるこちらの身になって欲しい

 

金を払えばいいってもんでもないし、習えば身につくってもんでもない。

自分で考える知識知恵、対応力が必要。

メールのやり取りで会話にならないメールを送ってこられても、一応の対応はしますが

来てほしくはありません。

 

 

自身が詠春拳がしたくて、したくて。

それで尚詠春拳って、これの何が強いのか?

と腑に落ち無い御仁は見学に来て欲しいです。

 

当方の詠春拳は

何を一番大事にしているか。

技?速さ?強さ?

そんな事は全然ない。

 

1番重要視しているのはフォームであり、

痛めにくく鍛えられやすい、形である。

次に形から派生する動きになってくる。

詠春拳の動きを日常化できるよう当方が考えた形の維持による負荷で訓練するわけである。

当方の詠春拳は日常生活における「自身の体のポテンシャル」への気付きと開発、底上げである。

 

良く考えて欲しい。

強くても速くても、サポーターやアイシングをしているなら肉体の負荷がでかすぎるんじゃないか?と。

何故そんな事をするのだ?と。

過負荷が日常生活における当たり前なら、体は悲鳴をあげるに決まっている。

そんな事をするのは「自分の体のポテンシャル」に気付かない若向けのアスリート思考である。

まあ昨今、アスリートにはそのアスリート思考をサポートするトレーナーがいてくれる訳だが、詠春拳の場合趣味で体を壊してどうすんだ?とも思うし、加齢と共に何かしらの合併症もでるかもしれない。

 

車でも、エンジンぶん回せばピストンやら、コンロッドやらに影響がでる。

過負荷をかけて物理的に無事なはずないのだ。

しかしケアしたらマイナスの部分がなくなるとみんな都合良く思ってしまう。

あれ?マイナスなかったらプラスもないじゃん?

その通りだと思う。

 

 

激しい運動や、過負荷は充実をもたらす。

充実は自分の体に対する危機感や不安を無くす。

心の安堵が危機的意識を鈍らす。

 

この動きはしたら腰いわす、この動きはしたら膝いかれる。

自分が良く後進に言う言葉である。

こんな事言える指導者はあまりいないであろうが、自分の体を壊すために詠春拳してる人も、まずいないだろう。

 

一読したならば頭の隅にでも置いといて欲しい。

体は経年劣化する消耗品で、取替不可のワンオフ品だと。

 

 

負けず嫌い②

負けず嫌い自体は①ではいいとは言った。

やり返すスイッチが入らなければ、と。

 

ではどういう負けず嫌いが詠春拳にあっているのか。

 

自分が一つの成功例だと仮定するならば、

負けず嫌いが我慢強さに直結しなければならない。

そもそも詠春拳の運動の根幹が我慢である。

体はフル稼働させておいて、顔は涼しい顔をする。自然呼吸を要求してくるし。

(自然呼吸を解ってない詠春拳もザラよね。激しく動いて格好いいと思ったら駄目よね。言っちゃ悪いけど。)

体をフル稼働は同じでも頭は真っ赤に、息は止めて行うような運動では無いと言うことである。

 

詰まるところ詠春拳は「ヨガ」のような運動に近い。

息を止めるヨガなんて恐らくないだろう。

詠春拳でもない。

でも実戦ではそんな事言ってられない、が大多数の御意見だ。(彼らの言う実戦とは何だろうか。

 

詠春拳で戦うには辛抱強さや我慢強さが間違いなくいる。

それも卑屈な方がいい。

「相手に力で負けてるのは自分の肘や馬のせいだ」とか

「相手の速度についていけていないのは自身の接触での反応が遅いからだ」とか、

 

要は相手というフィルターを通して自身の見直しを図る訳である。

とすると型や単式練習の意識がまた変わってくる。

今まで意識してなかった事、気づけなかった事。

練習の相手の数によって気付く事が増えていく。

注意しなければならないのは、その気付きや意識に型や単式練習での一貫性がないといけない。

 

でないと体格差がある相手には目潰しを初手で狙うなどと、詠春拳としては魅力のかけらもないFAにたどり着いてしまう。

 

勝ちたいだけなら詠春拳をしなくていい。

我慢できず違う動きをするなら詠春拳以前に性格や考え方を改めた方がいい。

詠春拳をしたいならあえて負けて勉強と銘打つ方がいい。

この日本ではストリートファイトや実戦なんてほぼ無い。

生涯練習。

Made in

https://youtu.be/166ZyVlBG2Q

 

これを見ると中国武術をしていますと、自慢できなくなってしまう。

自慢。。?人に言えなくなってしまうでいいか。。

子供の言った言わないに近いやり取りを今の中国人は平気でする。

日本にも中国文化に興味を持つ人間はいくらでもいる。

そのきっかけややる気、興味を削ぐような真似を平気でする中国人、は好きになれない。

 

しかし中国人にも他文化に興味を持ったり海外移住してる人の中には今の中国人を感じさせない親和性を持った考えの人もいる。

 

メイドインチャイナが日本でどれだけ露骨に納得されているのか、日本と中国のクオリティの差は何なのか、食品であれ衣服であれ。

 

中国武術はできたらそれらには当てはめたくは無い気持ちは。

まあ、少しだけはある。

 

 

負けず嫌い

詠春拳程、精神状態や性格に左右される拳法は無いと思う。

 

負けず嫌いな人は詠春拳には合わない。

詠春拳の練習では、

今までしてきた運動の一切を捨て、

馬を作れ、力を抜け、技を切り替えろ、

色々言われる。

言われたことがカッとなって抜けやすいのだ。

 

詠春拳においてとことん難しいのは「現状維持」である。

馬の維持であったり、手技の維持。

体幹の維持もある。全てを一つに繋げる練習をしなければいけないのに

 

相手がいると、どうもうまくいかなくなるのが詠春拳である。

手技の維持ができなくなったり、目に見える相手の攻撃に対する恐怖や反射が習った形を一瞬にして忘れ去る。

三ヶ月練習しても、一回の練習でそうなる事もある。

 

上記の所謂ビビる事より、闘争心あふれる負けず嫌いが一番タチが悪い。

要はやられたらやり返す的な怒りスイッチが入りやすい人である。

そのスイッチが詠春拳をしようとしてくれれば構わないが

「やり返す」「倒す」その意識が脳内に充満しやすい。

結果詠春拳じゃない何かで倒していて、

習った動きではない何かで勝利していても、

本人は血の気のせいで覚えていないケース。

後日聞くと、あれは詠春拳だったと言うケース。

 

逆上してやり返すなんてほとんど寝言戯言の領域である。

かのブルースリーも血気盛んで負けず嫌い。

兄弟子達を困らせていたと言う内容の記事は今でもたまに見る。

 

負けず嫌いとしてもやり返す意識で自分のボディコントロールができてないのはいかがなものかと思う。

 

と、言うかボディコントロールの質をより高い次元にしたいからメンタルコントロールするというのが、まあ普通の解釈なのだが

 

誰かに負けたくないや、圧倒して褒められたいでは、他人の顔色を見ているだけに他ならない。

 

詠春拳には

自分の形が崩れなければ相手が崩れている

そう匂わせる兵法が存在している。

 

負けず嫌いの根性は大事だがやり返すでは、本末転倒。

 

しかしその流れは欧米人に数多く流れ、日本にも流入してきている。

甩手直用法

先ずは反射を反応にする事。

反射を意識下に置く練習体系こそが詠春拳

 

パターンの説明

前に出す反応

相打ちにならない意識

 

前に出る反応

橋が自分のだけ中心取れてる状態

 

罠の意識

①で反射になっていればそこで終わり

その場から歩かない状況での力を効かす技のアドリブ化。

 

角度の意識

最初は45度、最終的には30度未満

返し手と対処の創造

 

固定観念の排除

感覚的にはやる方もやられる方も②と④が複合して来る。