詠春拳研究公開日誌

体験談や見聞録から推察していく詠春拳

力の通り道

技の名前や説明をできて初級。

実際使えて中級だと思う。

では詠春拳で上級になるには?

 

自分のしている動作を他人に完コピさせれるようになって初めて上級の入り口に立つ。

 

どう言う事か?

 

自身が強くなるのは、まあ比較的楽だ。

人を自分並みに、若しくは自分以上に強くするよりは。

名の知れた達人程これは難しい。

 

 

前置きが長くなるが、強くなる。それと詠春拳の運動の再現、体現。

この2つのジャンルが同じように見えてそもそも違うのだ。

枝分かれしている。

強ければ詠春拳を名乗り無茶苦茶してもいいと解釈できるし、詠春拳で強くても対格闘技になるとタダの雑魚といった捉え方もできる。

強くなるのと詠春拳をしたいでは、道が違う。

指導する側にしてもだ。

後者は弱かろうが続けれる意志がある。

詠春拳をできている、しようとする環境ならば。

一方、前者は強くなれないとなると頓挫する性質を言葉に宿している。

更に細かい事を言うと、どこの派の詠春拳をしたいかでも道は多岐にわたる。

 

これを前提として話すと自分はできても、人にそれを伝えられない、理解してもらえないとなると中級なのだ。

自分は強くても後進は強くないでは駄目だし

自分の動きを後進ができてないでは何をもって良しとするのか理解に困る。

 

ただ詠春拳の強さを渇望するだけでは駄目なのだ。

詠春拳の理に辿り着けない。

理とは、技1つ1つに存在する力の通り道であり、他人にそれを伝えられるか否かが唯一のきっかけであり始まりである。