詠春拳研究公開日誌

体験談や見聞録から推察していく詠春拳

スイッチ

赤と紫と朱色のスイッチがある。

 

3つ並べて見ると、そのスイッチのある場所によってはどれかが同じに見えたり2つに見えたり、見えなかったりする。

 

見える時は見える。が、見えにくい時がある。

いつでもどこでも同じように見えるなんてありえない。

状況や環境、更には感情に起因する何かで視力は変化する。

 

 

一方触覚であるが、外気温の変化さえなければ、それほどの逸脱した感覚低下は起こり得ない。

 

外気温の触覚限界に触れた時、反射と言う動作が起こり得るが

実は触覚は鋭敏化できやすい。

一方視力は先天的で、加齢により能力を失いやすい。

 

更に人体で不思議な点は

 

人間は触覚を想像で作り出すことができたり、

人には見えない何かが見えたりする時がまれにある。

自身の経験や想像、そこに五感の何かしらをフィルターに通すわけだが、

想像は未知覚の何かすら感知させようとするから素晴らしい。

オカルト的な言葉で言うなら詠春拳では想像と現実は同一化しなければならない。

 

知覚と想像のリンク性はどれほどなのか、個体別になるが今後の研究課題ではある。

もし、触覚をコントロールできるスイッチさえあれば。

スイッチと視覚を切り離して運動ができれば。

 

視覚と触覚を切り離せた状態で想像と触覚をリンクさせる。

次に視覚とリンクさせたものを後手後手に補完していく。

すると詠春拳的には、空間認識にも繋がる予見ができるようになる。

(木人でしている型がそれに当たる節があるのだが

まあ。。感覚だけで戦術を語るのはやはり無理がある。

 

しかし感覚を度外視して詠春拳を語るなんて、誰もが使える視力メインの「もどき」である。

詠春拳をより詠春拳らしく魅せる感覚、強さはまだまだ研究、改良の余地がある。