詠春拳研究公開日誌

体験談や見聞録から推察していく詠春拳

とある長崎の

五島に住む方に、

 

五島うどん気になります、一度食べてみたいです。

 

と言ったら、

 

いや〜なんでも名前つけてるだけで

ただのうどんですよ、五島うどんとか五島牛とか色々ありますけどね。

違いないですよ。

 

と言われたので、そんなもんなのかと納得しかけた。

 

が、これは詠春拳と同じではないのか?とはたとする。

 

要は意識レベルを一般人にまでダウングレードさせれば、ただのうどんで

実は五島ならではの素材やだしがあって

違いがあるのではないか?と。

 

まあ違いの有無は然程興味がないし、うどんも興味だけでそこまで食べたい訳ではない。

知識としての探求で五島うどんに関する引き出しを現地人の生の声で開けたかっただけだからなんとも言えないが。

(もちろん調べてすらいない

 

色んな詠春拳があり、色々な個性を持つ詠春拳があるが巨視的に見れば全部詠春拳である。

そこに真実も本当も無く、比較論だけが存在する。

あそこには無い動き。

うちには無い考え方。

 

そこで何故無いのかを考えると意識にオリジナリティが生まれてくる。

 

話は変わるが

最近は没個性的な詠春拳を見聞する。

先生も生徒も同じ動きすぎて、ワンパターンな動作、運動で

これは考えて動いてないなと解る動画である。

 

何も考えず向上するのは、心肺機能や代謝くらいなものである。

とどのつまり体力や技のそれは後から来た若い衆に負けると言う事。

若い衆に負けるって事は加齢に負けるって事。

加齢に勝てない拳法なんてアスリートじゃないか。

 

老師にはなれない詠春拳が不思議と流行る。

これが近代化と言うものなのか。